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人口過密都市に毬藻を育てゐる 大石雄鬼
殺伐とした都会の中で、心の潤いを求めて植物を育てたくなることはよくある。それがこの句の主人公とっては毬藻であったのだろう。
と、それだけならばある報告に終わりそうだが、そこに留まらないのは、大勢の中だからこそ増す孤独感と、人と小さな毬藻という生命同士の対峙とが、なんとも言いようのない愛おしさかつ滑稽さを醸し出しているからだろうか。しかも、何度も読んでいるうちに、更なる面白さが現れてくる。
経済と文化の中心である都市には自ずと人が集まるため「人口過密」なものとなる。そこで人それぞれが家庭を作り子を作り更に人口が増す模様、またその人口を収容するため空に伸びてゆく高層街の模様が、糸状の藻体が水の動きなどによって転がりながら緻密な球体へと育ってゆく「毬藻」の成長の模様と重なってきた。「人口過密都市」と「毬藻」。そう、両者は増殖する有機体、生命体として通じ合っていることに気づかされるのだ。
余談だが、先日リドリー・スコット監督「ブレード・ランナー/ファイナル・カット」が上映されるという噂を聞き、マンハッタン6番街と7番街の間にある古い映画館に行ってきた。(オリジナル版封切1982年。その頃に想像された)2019年の未来都市。高層ビルが聳え立ち、その根元には終わらない祭のように人々が溢れる、強烈にアジアそ思わせる鬱蒼としたそこは、雨にしとど濡れていた。それはそれはかなりの毬藻感であった。
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