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1年間が過ぎました。まったく鑑賞していなかったので、反省も込め、1年分をまとめて書きます。(バックナンバーに9月分がなかったため−8月分が重複−9月分を除きます)
海しずかヌードのように火事の立つ こしのゆみこ(2月)
今年、1番好きだった作品。というか、こしのさんの代表作になるんじゃないだろうか。火事をヌードのように見る、陶芸家でもあるこしのさん。芸術家にはそのように見えるんだと、納得。斬新だけど、かなり説得力を持つ。印象鮮明。「立つ」がうまいと思う。−ちょっと褒めすぎか−
狼がいる夕暮の乾燥機 月野ぽぽな(2月)
乾燥機のごうごうとする音、そして揺れ。朝ならもっと健康的な感じがするが、夕暮れの回っている乾燥機の中に、狼がいるといえば、いそうな気配。狼と言えば、童話の主役(というか、悪役)。乾燥機の中で暴れ回っている(いや、苦しんでいる)、童話っぽく不穏な楽しい俳句。<うん?乾燥機は脱水機じゃないんだ。ということは、ごうごう音、揺れはしない?まあいいか>
秋澄むや童話のやうに腕ひらく 吉田悦花(11月)
「童話のやうに」とは、どんな感じか。すぐには、絵本に描かれている少女が腕をひらいて誰かを受け入れようとする様を思い描くが、童話そのものが、母のように私たちを包み込む、そんな感じなのかも知れない。「秋澄む」というひやりとした感じが、この句を逆に活かしていると思う。
クロールの顔に唇ありにけり 齋藤朝比古(8月)
一瞬をリアルに活写。ただそれだけをクローズアップしたのに、それがなぜか心に入り込んでくる不思議。「顔に唇」という表現のみで、顔から唇がとびでてくる、唇だけが水面上にふっと浮きでて、まざまざと見える、いや、ちょっと違う・・・と、ということを「顔に唇ありにけり」で描写できる手法がすごいと思う。でも、これがいいと思う「俳句」って何?とも同時に思う。
泣きそうな肩をしている椿かな こしのゆみこ(4月)
椿の咲いている木の姿を、肩を下げて泣いている姿に見立てた。実に椿らしい感じがする。あの木の感じ、木肌の感じ、そして花の感じ。意表を突いて、まさにそんな感じ。と、ここで、「アンコ椿は恋の花」を思い出す。あれ?落ちを言っちゃったかな。ごめんなさい、こしのさん。
青葡萄それからずんずん歩いた 高橋洋子(7月)
「それから」って、どれから?って思うけど、ともかく、なにかあったのでしょう。それから、開き直るように、人生が変わるように、ずんずん歩いた。「ずんずん」がいいですねえ。「ずかずかと来て踊子にささやける 高野素十」をちょっと思った。
月あいまいに鼠色のくつした 高橋洋子(10月)
なんともよくわからないが、「月が曖昧にでている、そして鼠色の靴下がある」と、そのまま受け取るしかないのだろう。「あいまいに」と「くつした」のひらがなが、けっこう効いていると思う。鼠もなんだか、いい感じだ。
どちらかといえば白鳥は西暦 月野ぽぽな(1月)
白鳥は西暦であるという、へんな断定が面白い。まあ、頭に、「どちらかといえば」としているので、断定ではないのだが。白鳥は、西洋っぽいから、その辺から引きずっているのかもしれないが、西暦としたちょっとしたひねりが、心に引っかかってくる(良い意味で)。「どちらかといえば」の措辞がよいかどうかは、疑問。
健康な裸木がある総武線 中村 安伸(1月)
裸木は、葉が落ちてしまった冬の姿だから、心の中ではなんとなく、不健康なものというイメージがある。でも、病気ではないのだから、別に不健康ではない。その辺を「健康な裸木」と、ずばり再イメージ化していて、それが私には面白く感じた。「総武線」も、そう言われると、たしかに総武線だなあという気がしてくる。総武線の句では、間違いなく一番だろう。
なんとなく塩味のして花野かな こしのゆみこ(10月)
花には、甘いイメージがあるが、塩味の花野という、文字通りのあっさりした味加減がよい。ただの塩味だとしょっぱすぎるが、「なんとなく」で薄い塩味の感じがうまく出ている。
その他、いいなあと思った句を並べておきます。
砂の味白湯にありけり日脚伸ぶ 矢羽野智津子(3月)
春夕焼け膝のそばまできていたる こしのゆみこ(4月)
うしろから派手な鼻歌砂日傘 月野ぽぽな(6月)
小麦粉にこだわりながら神渡 上野葉月(12月)
原人の重たき瞼冬の川 岡田由季(1月)
好きでしたあなたの汗は水でした 峠谷清広(7月)
空色にからまりからまり鶴来る こしのゆみこ(1月)
磨かれて老眼鏡は虹の重さ 月野ぽぽな(8月)
橙の花の匂いのずる休み 高橋洋子(8月)
春障子羽根のやうなる破れかな 矢羽野智津子(3月)
にはとりのかろき足音雪解川 吉田悦花(4月)
寝冷えして病名のように片思い 峠谷清広(6月)
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